【OMORI】初見プレイを完走した感想ですが膝にオモリを受けてしまいました
こんにちは、アモルファスです。
最近は筋トレのために豆乳を飲み始めたんですが、アレって結構クセが強くて飲みにくくないですか?
他の大豆製品なら、豆腐も納豆も、醤油もおからも全部大好きなのに、豆乳だけはどうやら私に心を開いてくれないようです。
クセが強いといえば最近、「OMORI」というこれまたクセっ気たっぷりなゲームを遊んだのですが、皆さんはこのゲーム、ご存知でしょうか?
以前からタイトルだけは知っていて、すごく面白いと評判で気になっていたので、例によってSwitch版を買って遊んでみたというわけです。
今回はこのOMORIを初見プレイしてクリアした感想を述べていく内容となります。
OMORIをよくご存知ない方へ向けて軽く説明しますと、このゲームは「ホラーRPG」です。
……え、それだけかって?
いえ待ってください違うんです、要するにこのゲーム、なにを言ってもネタバレになってしまう類の作品なんですよ。
なにも知らずにこの記事を開いたあなたは幸運です。なぜなら、一切の先入観と無縁のまま新鮮なゲーム体験としてOMORIをプレイできるのですから。
UNDERTALEとかそういう感じのやつです。お察しくだされ。
よってこのゲームを知らない人に私がお話しできるのは、是非ともご自身で購入して遊んでみてほしいということだけなのです。
あえてお伝えしておくべきこととしては、前述のとおりホラーRPGであるため、そういうホラー要素が苦手な方は気を付けてほしいという点でしょうか。
もう少し細かく言うと、ホラーパートは全体的に不気味系で攻めてくる傾向があり、またそこまで強くないながらも残虐系やジャンプスケア(びっくり恐怖演出)が盛り込まれているため、ご自身がどのホラー要素にどのくらい耐性があるかと相談していただくのがよいかと思います。
そんな事情もあって不特定多数にオススメはしにくいゲームですが、気になったら公式トレーラーをご覧になるなどして、雰囲気だけでも確かめてみてください。「あ、この雰囲気好きなやつだ」と感じられたなら、きっと例外なく楽しめると思いますよ。
さて、前置きが長くなりました。
ここから先はネタバレ上等、お情け無用の感想考察垂れ流し記事となります。
重ねて申し上げますが、OMORIの内容をご存知ない方はこの先の内容を読むことなく、是非ともご自身でのプレイ体験を大切なファーストインプレッションとしてください。
私がなぜこんなに回りくどく注意書きをしているか、それをご理解いただいている方のみ続きをお読みください。
はいどうも。
ここまでお読みくださったあなたは、きっとネタバレを恐れずに済むくらいには、OMORIというゲームの内容を理解されていることと信じます。
それではここからは本当に、私の感想を並べていく記事に戻りますね。
最初に申し上げておきたい。
このゲーム、あまりに良すぎて膝から崩れ落ちました。
誰ですか私の膝にオモリつないだの。オモリってそういうことですか。
今の私の膝、たぶん死の間際のマリちゃんよりひどいことになってると思います。
アホな話は置いといて。
上のほうではネタバレに配慮して書けませんでしたが、単に感想というとあまりに広範にわたってしまうので、「グッドエンド後に主人公が辿るであろう未来」に焦点を絞り、そこを中心にお話していこうかと思います。
というのも私、図らずしも初見プレイにしてシークレットエンディングへ到達してしまいました。グッドエンドの演出に加えて、最後にバジルが目を醒ますパターンのやつです。
プレイ中、一切なんの攻略情報も仕入れなかったにもかかわらずです。我ながら驚きました。
さて、グッドエンドを迎えたプレイヤーの方々には、あるひとつの共通した疑問が浮かんでくるのではないでしょうか。すなわち、サニー(主人公)は友人たちに許されたのだろうか、と。
ゲーム内ではあえてどのような可能性も考えられるように演出されており、実際これといった正解は存在しないのだという気がします。なにより私がここでつらつら述べたところで、感想とは人それぞれ心のまま感じたことが正しいわけですから。あくまでひとりの人間の感じたこととして、お読みいただければと思います。
また初見プレイ完了時点での都合上、他のルートにまつわる考察内容は充分でない可能性が高いです。あわせてご了承ください。
とまあ予防線を張ったところで、結論からいうと私の感想はズバリ以下。
「社会からは罰せられ、友人たちには愛されてほしい」これです。
感想ってよりなんかもう願望混じりですが、一応ひとつひとつ説明しますね。
まず前提の話から整理していくと、このOMORIというゲームはサニーが自らの罪の意識と向き合っていく物語です。
「MOTHER」や「ゆめにっき」などを彷彿とさせるあの妙ちきりんな世界を、驚くほど普通で王道なRPGとして冒険していきます。しかし世の多くのRPGと決定的に異なる性質として、オモリ(主人公の写し身)はなにか大きな目的を成し遂げるためではなく、罪と向き合う本来の目的から遠ざかるために旅をするわけです。
現実のサニーに罪の意識を向けさせることなく、夢の世界の奥底へ封じ込めた上で、その上に築かれたヘッドスペースを冒険の舞台とし、かりそめの幸福を享受する。これが、サニーにとってのオモリという人格(語弊がありそうでややこしいですが、簡単のためあえてこう表現します)の役割でした。
冒険の末にオモリはブラックスペースへの扉を開き、自らが抑え込んだはずのおぞましい罪の意識の封印を解いてしまいます。その結果、オモリはサニーが抱える罪の意識そのものの象徴となり、ついに彼自身へ向けて牙をむいてきます。
サニーは現実での幸福な記憶、美しい感情、そして自らつかみ取った真実を武器にこれと対峙します。自身のすべてを受け入れ、乗り越えることで、サニーはようやく現実で生きていく力を取り戻します。長らく彼をさいなんでいた苦しみの象徴、黒く得体の知れない「なにか」は、彼の前から姿を消しました。
……というのが、グッドエンドまでのあらましです。感想といいつつ若干考察めいてしまいましたが、細部の違いはあれどおおかた外してない(と思う)ので、お目こぼしください。
これを踏まえて、先ほど述べた私の感想についてお話しします。
まずは前半の「社会からは罰せられ」という点について。
これに関してはシンプルです。客観的にみて、サニーがマリを死なせてしまったことは事実。社会的にどうなっているかまでは詳細に知ることができませんが、友人たちが偽装に気付かなかったところからみて、やはり自殺として処理されたのでしょう。
頻繁に言われる「検死でバレなかったのか?」という指摘に関しても、事件性がないと判断されたものを検死にかけられる可能性は低い、という考え方が有力視されているみたいです。
しかし、サニーが自白したとなると話は変わってきます。彼および共謀者のバジル自身が罪として認識しているように、我が国でも遺体を別の死因であるかのように偽る行為は、死体遺棄などの罪に問われる場合があるようです。OMORIの世界での法制が現実と同一とは限りませんが、子供の目にも明らかな犯罪でなければああも自分を責めないでしょうから、つまりそういうことだと思います。
そうなるとやはり、サニーとバジルは社会的制裁からは逃れられない、と考えるのが自然でしょう。なんらかの刑罰を受けたうえで、世間的にも元の生活には戻れない可能性は高い。サニーの引っ越し先だって、母親と離れ離れになることさえ考えられます。喫茶店の屋根裏とか……。
ただ、ひとつだけはっきりしていることは、己の命すらおびやかす罪の意識を乗り越えたサニーたちが、いまさら社会的責任から目を逸らしはしないだろうということです。
未来を見据えて生きていく勇気を取り戻した彼らは、社会からいかように責任を問われようと、強くまっすぐに受け止めて生きていくのではないでしょうか。そうであってほしいですね。結局願望めいてしまった。
さて次に、「友人たちには愛されてほしい」について。
グッドエンドに関して最も個人の感想が分かれる部分であり、だからこそ私が最も深く語りたい部分でもあります。
こちらのほうが重要かつ込み入った話になるので、ちょっと複雑になりますがご容赦ください。考察を踏まえた話もガッツリ盛り込んでいきます。
自然に考えれば、罪を自白して犯罪者となったサニーを友人たちが拒絶する可能性は、もちろん存在します。ここでポイントとなるのが、サニーの罪の自白が友人たちにとってはエンディングで初めて明かされる事実である点と、「どのような選択をしようと自分はサニーの味方だ」と激励をくれた友人たちの姿が、現実でなくサニーの心象風景での存在だったという点でしょう。
ようするに、罪の意識をサニーと共に背負い、支えてくれる友人が現実世界に存在する保証がないのです。これこそが、サニーが友人たちに拒絶される可能性を最も強力に補強する判断材料といえるでしょう。
ここまで整理してなお、私が「友人たちには愛されてほしい」のはなぜか。それをお話しするにあたって、まずはオモリの冒険の舞台であるヘッドスペースについて、掘り下げていく必要があります。
いよいよ話が面倒くさくなってきそうですが、大丈夫でしょうか……?
オモリと友人たち、そして様々な生物が暮らしている空想の世界、それがヘッドスペースです。
普通にこのゲームをプレイしていると、眠っているサニーの夢、すなわち潜在意識がこのヘッドスペースを形作っているらしいことは想像がつきます。しかし、
「ヘッドスペースのあらゆるものがサニーの空想で作られている、という認識は正確でない」
というのが私の主張です。
その根拠となるのが、ゲーム中、ハンフリーを倒した後にシンエン井戸で聞くことのできるメッセージです。赤くて細長い川をずっと泳いでいくアレです。
あのエリアで聞くことができる話の中に、ヘッドスペースと現実世界との関連を推察するための情報が数多く潜んでいます。たとえば、あそこで真実を語りかけてくる声(仮に真実の声とでも呼びましょう)のセリフの中には、
「貴方の大事な大事な、ひざが悪いマリ……(中略)彼女は必ず安全地帯から離れ、貴方を守ります。それが彼女の本能です。彼女がそうする度、その魂は貴方から離れ、そしてまた蘇る……(後略)」
というものがあります。なにやら魂だの本能だの、いかにも生き物らしい単語が登場しました。
ちょっと順番が前後しますが、これより前にマリとバジルの魂とその行動原理について、真実の声が言及しているセリフもあります。
「ここには昔、真実への道があったのですが、今はもうありません。(後略)」
「その道が何度隠されようとも、あの花の少年は必ずそれを見つけます。そして貴方の大好きな姉のマリは……必ず、貴方をそこまで導きます。彼らは空っぽな張りぼてです。それでも、成長します。成長して、翼を得て……太陽に翼を焼かれ、地に落ちます。それが、彼らの本能です。(後略)」
真実の声によると、花の少年(バジル)とマリの魂は、ヘッドスペースに生きる存在でありながら、自身の本能に従い真実——すなわちブラックスペースに眠る罪の意識へと至るべく、独自の行動基準によって動いているようです(ヘッドスペース内で存在が分離しているバジルに関しては、事情が特殊なので後述します)。それはサニーの深層意識がブラックスペースを抑え込もうとする意思とは、明らかに対立するものです。ヘッドスペースすべてがサニーの意思に基づいているという前提においては、説明がつきません。
以上の話から、私はサニーの深層意識によって作られていると思い込んでいたヘッドスペースが、実際には現実の人間の魂に干渉を受ける場所であると解釈するに至りました。
サニーと以前から面識があったとは考えにくいキムやヴァンス、ショーンやカレンに対応するキャラクターが最序盤から森の遊び場に(不完全な異形めいた姿ながら)登場している不自然さも、ヘッドスペースがそもそもサニー以外の人間の魂に影響される場所であるという前提に立てば、きわめて明快に説明がつきます。
私がこの回りくどい話で一体なにを伝えたいのかというと、
「ヘッドスペースの住人たちは、現実世界の人間の意思が反映された存在」
であるということ。
これこそが、サニーが友人たちに受け入れられるだろうと私が考える、最大の根拠です。
思い出の道の終着点、オモリとの決戦を控えたサニーを待ち受けていた仲間たちは、みな口々に彼への信頼と友情、温かな愛情に満ちた言葉を投げかけます。
それはサニーの心象風景の中での出来事であり、細かいことを言えばヘッドスペースとは異質の空間だったのかもしれません。しかし果たして、なにもかもが彼にとって都合良く脚色された、無根拠なものだったのでしょうか。
バジルやマリが本能でそうしたように、ケルやヒロ、オーブリーもまたサニーの抱える苦しみを(その真実こそ知らないにせよ)現実世界での交流を経て共に支えたいと願い、最大の試練に臨む友人の前にその魂が現れて、本能で呼びかけたのではないでしょうか。
そうだとすれば、友人たちが口にする「自分はサニーの味方だ」というセリフが、他ならぬ現実の彼ら自身の心に由来する言葉であるはずです。
……うーん、自分で書いといてなんですが、どう取り繕っても少々メルヘンチックな結論になっちゃいますね。
自分の感想にあれこれと屁理屈つけてみましたが、やっぱり少なからず願望混じりの解釈にすぎないのかもしれません。まあそれならそれで堂々と、
「みんなサニーの味方だって言ったもん!!! 支えてくれるって約束したもん!!!」
って叫び散らかすだけになりますけども(笑)。
しかしまあ、こんな理屈でも少しは誰かの共感が得られたら、それはなにより嬉しいことですね。
ここからは余談ですが、現実の魂が反映されたヘッドスペース住人の中でも、バジルは非常に特殊な存在です。
それもそのはず、バジルはマリの自殺偽装に荷担した共謀者であり、いわば罪の意識をサニーと共有している人物であるためです。現実世界でサニーとバジルだけが互いの「なにか」を視ることができているのも、同一の罪を背負っていることを考えれば不自然はないでしょう。
オモリが罪の意識をブラックスペースへと追放すると同時に、ヘッドスペースのバジルもふたつに分離されてしまい、オモリたちと共に幸福を享受する「バジル」と、オモリにとって不都合な真実を探し出そうとする「知らない人」に、それぞれ分かたれました。
今にして思えば、オモリの友達でいたい「バジル」と真実に向き合いたい「知らない人」、どちらも現実のバジルの本心であり、真実の声の表現を借りるなら「魂の本能」だったのかもしれませんね。
トゥルーエンドの描写では、サニーとバジルが互いの背負った罪の意識が消えていく様を目にします。同一の罪が由来しているとはいえ、克服するタイミングまで一緒というのは少々違和感を覚えるところで、この符合もまたヘッドスペースと現実世界との連動を摘示する証拠と考えていました。つまり、「知らない人」としてオモリを真実へと導き、その魂の本懐を遂げたことで、バジル自身にもまた罪の意識と向き合う機会が訪れたのかもしれないと。
そんなところまで考察していてはさすがにキリがなかったので、今回はあまり深く触れませんでしたが……。
(以下、本当にどうでもいい話)
バトル中にオモリが発動できる「やる気解放」、プレイ中ずっとアレに似てるよなあ……とか思ってました。
屋根裏のゴミでも仲間に恵まれて強く生きているのでサニーくんも頑張れ。